2017年01月15日

江戸時代は浮気にも寛容だった?

こんばんは^^
江戸時代、浮気、なになに・・・みたいなタイトルですが、

もともと現在の愛知県東部の三河を拠点にしていた徳川家康を調べてたら
こんなタイトルになりました。

なんてったって、側室の数が多いこと。
そして、なんてったって、子だくさん。

質素倹約のイメージがある徳川家康ですが、
色恋には寛容だったのでしょうか?

今日は、江戸時代の浮気事情についてもちょっと書いてみますね。


■家康の正室

正室、つまり、正式な奥様ですが徳川家康の正室は、2人です。

最初の正室は、築山殿。
築山殿亡き後、正室になったのが、豊臣秀吉の妹である朝日姫です。


■家康の側室

側室の数は、ネットで検索してみると、
15名から18名というのが多く出てきます。
お梶、阿茶局、お六などは、時代もののドラマでもおなじみですよね。

家康は、正室と側室に、男子11人、女子5人を産ませた
子だくさんの父親でもありました(*^^*)

まぁ、家康の場合は、お家存続のためご高齢になっても
がんばっていたわけですが、

江戸時代の参勤交代で主が留守の間は
武家の間でも浮気がお盛んだったようです。

ですが、江戸時代は浮気に寛容なわけではなくて
むしろ、重罪だったんですよ。


現代でも浮気調査なんてありますが
江戸時代の浮気は、切り捨て御免、つまり命をとられるくらいの罪の重さだったのです。

現代の浮気事情について知りたいときはこのサイトが参考になりますよ。
浮気調査にも割引クポーンがあるのです。
原一探偵事務所で基本料が半額【割引クーポン】ハライチ探偵navi

娯楽施設じゃないのに、割引クーポンがあるって不思議な感じですが
サービス業には必須なのかもですね

じゃ、よく、時代劇で出てくる「吉原(よしわら)」はどうなのよ、
と思って調べてみたのですが、
あれは、遊郭といって
お金を払って遊びをたしなむ場所だからOKだったのだそうでびっくり

今も、昔も、そうゆう場はあるのですね。


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Posted by ゆゆ。 at 23:14│コメントをする・見る(0)雑談
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